保育士のために

【保育のねらい(基本的信頼)】『手伝って!』と言えるようになる前に必要なこととは?

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手を離さない 保育士のために

こんにちは☺ 子どもの正しい見方を知って、子どもの味方になりたい!子どものみかたブログです!!

 

最近になってようやく、子どもは発達によって何かが出来るようになることと同時に、

 

もし出来なかったり、困ったら誰かを頼る事も大切だと言われるようになってきました☺

 

個人的には、何かが出来て自立することばかりを優先するのはどうなのかなって思っていますが、、

 

〈参考:幸せになるための保育ってどんなの?!〉

【保育のねらい(幸せ)】幸せになるための保育とは?
幸せになるためには、人への寛容さが必要とのことで、それを保育のねらいにすることを考えました。

 

では、困ったら『手伝って』『助けて』と言えるようになるまでに必要なことは何かを考えてみたいと思います!

 

以前は困ったら訴えていた?!

生きていく上で、困ったら最後には人を頼ることはとても大事なことだとは思うのですが、

 

そもそもそれまで子どもが困っていたり、助けを求めていたら、その都度大人は手を差し伸べてきたのでしょうか?また、今も手を差し伸べているのでしょうか?

 

私は子どもは元々は困ったら周囲に訴えるという力は持っていると思っています。

 

それは0,1歳児を見ると、嫌というほどわかりますよね😓

 

赤ちゃんは不快だと泣いてわめいてそれこそ必死にアピールします!

 

それに対してポジティブな反応を大人が返すことで、外界に対して安心で肯定的なイメージを持つようになっていきます。

 

まだ人や社会という認識はないでしょうが、その積み重ねによって周囲の世界に信頼感を得ていきます。

 

困っても訴えなくなる理由

赤ちゃんは生きるだけで必死ですので、自分から訴えられると思うのですが、例えばその後それが充分に可能でしょうか?

 

保育所での保育士の配置基準は今、

0歳児は3人に対して1人の保育士、1歳2歳児に対しては6人に1人

となっています。

 

これで、泣いて訴えていたり、アレコレ要求する子どもに対して、すぐにポジティブな対応が可能でしょうか?

 

抱っこを同時に要求したり、違う遊びを同時に要求することもあります。

 

その度に、体を引き裂かれる思いなのですが、どちらかに諦めてもらったり、待たせてしまったりが繰り返されます。

 

そのようなことを経験していくうちに、子どもは諦めます。要求しても仕方がないんだって。

 

大人が気付かないうちに我慢をすることが定着したり、素直な気持ちを出さないようになったり、空気を読むということになっていきます。

 

それが大人からすると手がかからなくなって『成長したんだ』と、いいことのようにも見えますが、実は成長ではなく、諦めであったりして、発達的にはあまりよろしくないと思われます😓

 

我慢や諦めは、この時期の子どもの発達にそぐわないので、

自分の気持ちを素直に出せない、同調圧力に従う、自分の持っている力を発揮出来ない、しんどくても我慢するのが当たり前になり、大人になったらストレスを抱えやすくなる可能性があります。

 

そのような育ちがベースにあり、例えば3歳や4歳になって言葉が使えるようになったからといって、急に『困ったら言ってね!』というのはちょっと無理があるような気がしますね😓

 

それまで困っても我慢させたり、空気を読ませていたのは実は大人なのですから。

 

まとめ

『困ったら(言葉で)言ってね!』という支援が可能なのは、困ったら助けられるという環境で育った前提があってのことです。

 

人への基本的信頼と言ってもいいのかもしれません。

 

そして、困ったら気付いてくれる、助けてくれるという経験をしていたら、わざわざ大人から『困ったら言ってね!』という必要もないのかもしれません。

 

そこでもし、言葉が増えても勝手に助けてもらえるのを待ってしまったりして、言葉で言えない場合は『困ったら言ってね!』という、子どもからの言葉での発信を待つ支援が、そこで初めて可能になります!

 

なので、まずは大人が子どもの困っていることに積極的に気付けるようにする、訴えがあったらよほどのことがない限り、助けるというベースが大事になります☺

 

『困った時は助けてもらって良かった』というベースがあって、大人になってからも、『困ったらお互い様!』と自然に周りに訴えられ、支え合うのが当たり前!にすることが大切ではないでしょうか。そうすることで『何でも自分一人で出来なきゃ!』と頑張りすぎたり、ストレスを抱える人もいなくなるのではないかなって。

 

生きていたら何度も辛く悲しいこともありますし、その度に1人で乗り越えなきゃいけないのはしんどいですよね、、

 

〈令和3年中における自殺の状況 厚生労働省〉

 

あまりにも何かが一人で出来ることや自主自立に向かいすぎますと、孤立を招き、幸福を遠ざけてしまうことがあるのではないでしょうか。

 

【保育のねらい(幸せ)】幸せになるための保育とは?
幸せになるためには、人への寛容さが必要とのことで、それを保育のねらいにすることを考えました。

 

 

補足

言葉で訴えるにしても、段階には注意した方がいいと思います☺

 

例えば、3歳児だと言葉が劇的に増える時期ですが、まだ使い始めなので困ったら『うー-ん!』とか『やって!』という程度かもしれません。

4歳になると、もう少し意味を理解して言葉を使うようになりますので『手伝って』とか『助けて』など、簡単な言葉を使って訴えられるようになると思います。

そして、年長になりますと個人差には注意しながら、状況や気持ちの説明を加えて『~だから~してほしい』などと、無理なく言えるように支援出来るといいと思います。

 

よくありがちなのは、一足飛びに理由など難しい言葉で言わせようとするのを見かけますが、それもハードルを高くすることになり、言いにくくなる原因になってしまいます😓

 

大切なのは、困っている時は人に助けてもらえてよかったという、人に対して基本的信頼関係が築けていることだと思います☺

 

〈まとめ動画〉

 

補足2

さらに、過干渉と人を頼ることについてですが、

過干渉は、子どもが何かしようとする前から大人が引き取ってしまったり、または子どもの意思で選択した結果が、子どもが望んでいないものだった場合、手を加えて変えてしまうことです。

 

それでは子ども自身の経験になりませんので、今後に活かすことが難しくなります。

 

困ったら助けるというのは、あくまでも子どもが1人ではどうしようもなく難しい場面に直面した時に、子どもから泣くことや言葉など、何かしらの発信があり、手を差し伸べるということです。

悪い結果も子ども自身が選んだ結果なら、受け入れてもらうしかないです。

たとえ泣いたり、ゴネてもですね😓

子どもが挑戦しようとしているのにまたは、望まない結果を良い結果に変えるために手を差し伸べると、自己知覚や成長の機会を失い、誰かを頼ると何でも上手くいくんだ!と勘違いしてしまう可能性がありますので、注意が必要です。

 

無理をさせ過ぎるのも良くないですし、助けすぎるというのもまた良くない、ということですね。

 


 

ここまで【保育のねらい(基本的信頼)】『手伝って!』と言えるようになる前に必要なこととは?、をお読みいただきまして、誠にありがとうございました☺

 

もしご意見ご感想などございましたら、コメントで頂けますととても嬉しいです!

 

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