こんにちは☺ 子どものみかたブログです!
今回は、保育士の皆さんにお勧めだと感じました映画『怪物』についての感想や私なりの考察について書いてみたいと思います!
『怪物』って、どんな映画?!
この映画は、2023年に『万引き家族』の是枝監督によって制作上映された映画です!
『万引き家族』も私自身、とても考えさせられた映画でしたが、今回の『怪物』は、監督が思うテーマや作品なりの解答、社会で起きている問題を提示するというよりも、より見る側に考えることや想像することを投げかけられている映画になっている印象があります。
映画を見ると社会で起きている問題や背景を理解出来るのではなく、より映画を見る個々が主体的に考える機会にしたかったというねらいがあったのかもしれません。
物語は、
シングルの母早織の息子湊が、担任の保利に体罰を受けたということで、学校に向かう早織。
その時の学校の対応に不信感を持ち、抗議をする早織。
逆に、保利からは湊がいじめを行っていると告げられる。
いじめの確認をしたところ、いじめをしていないとわかると、保利を辞めさせようと動く早織。
教師の保利は、新任だが担任として子ども達と向き合おうとしていた。
早織の抗議に対して、形式的に収めようと保利に謝罪を要求する校長と教頭。
そして、自分のせいだと言ってくる湊。
誰も味方は居ない。
そして子ども。
湊がいじめていたと思われていた依里は、実は別の子どもにいじめられていた。
それをただ傍観することしか出来ない湊。
学校の外で、湊はそのいじめられていた依里と徐々に親密な関係になっていく。
やがてそれは友情というよりも、愛情のようなものに変わっていった。
2人は友達にも親にも学校にも認められず、加えて世間にも認められにくい関係性に。
依里が父親に虐待されていることを知った湊。2人は必然的に2人だけの世界を作り、その世界で活き活きと生きていくことを選んで、、
とてもざっくりですが、このように保護者、学校、子どもと視点を変えながら、行きつ戻りつしながら進んでいくお話です。
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このブログでは、5歳の女児がブリッジ入れ歯をカニと勘違いしてしまったエピソードを通じて、子供の発達における想像力と言語能力の豊かさに迫ります。5歳は、子供が自己を発見し、世界を理解し始める重要な時期です。そのため、子供たちは独自の関連付けや解釈を行い、興味深い発見をします。このエピソードは、子供が日常の出来事を理解する過程で経験する興味深い現象の一つです。女児が入れ歯をカニと関連付けたのは、彼女の活発な想像力と言語能力の発達を反映しています。また、彼女の独自の視点や表現力が、子供の成長と個性の豊かさを示しています。このようなエピソードは、子供の成長と学習において重要な役割を果たします。親や教育者は、子供の興味や疑問を尊重し、彼らの想像力と言語能力の発達をサポートすることが重要です。そして、子供の個性を理解し、彼らが自己を表現できる環境を提供することが、彼らの健全な成長につながります。
怪物とは?!
そこで、その『どこが怪物?!』ということですが、それは全て見る側の感性や感覚に委ねられているようです。
それがイマイチ見ている側の一部にはまらない人が出てきてしまう要因になっているのではないでしょうか。
問題を明確にして、その答えもある程度わかるように提示してほしい!という。
でも、そこがこの映画の肝だと思われます!
皆さんは、どこに『怪物』を感じたでしょうか?!
怪物とは、、得体の知れないまた怖い生き物。 化け物。(比喩的)能力が飛びぬけて優れている人。
と辞書にはあります。
怪物を得体の知れないものと定義しますと、、
保護者にとって得体の知れないものは、学校です。担任や校長、教頭などと言ってもいいかもしれません。何を考えているのか、全くわからない、共感できる拠り所が無いように感じています。
そして、逆に学校や教師たちにとっての得体の知れないものは、保護者です。なぜここまで感情を露にして苦情を言ってくるのか、わかりません。また、成長発達途上の子どもたちのことも得体の知れないものに映っているようです。
子どものことは、わからなくても、わかろうとするとかわかってもらおうとすることが教育者としての仕事なのでしょう。なので、もし本当にそうなら、教育者としては向いていないか、力不足かもですね、、
私も、保育士としては常に子どものことは本当にはわからないものと考え、だからこそわかろうとすることが大事!としておかないと、本当の子どもの姿からはズレてしまうんじゃないかと思ったりします。
余談でした笑
そして、映画の2人の子どもにとっての得体の知れないもの。それは他の子ども達や大人、社会の全てなのかもしれません。
これから少しずつ周囲のことについて理解していく、成長していく途上なので、それはある意味では当然なのかもしれません。
だけど、唯一理解できる相手がそれぞれに出来たという。
この映画を見て、それが唯一であることは、とても悲しくて、不幸なことなんじゃないかと思ったりしました。
これらをまとめて考えると『怪物』とは人々の心なのかもしれません。
心は目に見えるものではないので、得体が知れないですね、最初は。
でも、それぞれが理解出来るものと信じ続けることで、少しずつわかりあえる(ような気持ちになる)ということなのでしょう。
最近の世の中の人間関係は、この人を信じたり、信じ続ける根気が無くなってしまっているのではないでしょうか。
人間関係のように、本来、じっくり時間をかけて築いていくもの、一見面倒に見えることでも大事なこと、そういうものを端折るようになっってしまったのではないでしょうか。
それが得体の知れない感情を生み出し、怪物になるということがあるのではないかと。
人として社会で生きていくために、それぞれが相手(対象)を信じ続けて、寛容性を持ち、根気よく人間関係を築くという、原点に戻る必要がありそうです。
保育士として出来ることとは、、
そのために保育士として出来ることは、人(相手と自分)への信頼と社会性、コミュニケーション能力を上げる支援ということになりますでしょうか。
相手を信じ切るには、まず自分を信じられるのが前提になります!
そのためには、まずは身近な大人にありのままを受け入れられる必要があります。
『~が出来るから』とか、『(大人の)言うことを聞けたら』というような条件付きではなく、苦手なことや不得意な部分も含めて、ありのままの自分を受け止められることで初めて、自信やこのまま生きていてもいいんだという、生きる意欲になり、自分を信頼するベースが築かれます。
自分を信じられるようになったら、他の友達と切磋琢磨したり、時にはぶつかったり、または協働する中で相手を理解し、協力し合い、一つの目標に向かって役割り分担をする経験を積み、他者と一緒に達成感を味わい、それをまた自信にして人間関係も発展させていくことが可能になります。
そうすることで、得体の知れない感情が出来るだけ生まれないようにすることが出来ます。
もし、得体の知れない感情が生まれそうになったら
それでも、たまには相手に裏切られることもあるでしょうし、自分に不信感を持つこともあるでしょう。
でも、元々自分を信頼出来るベースが築かれていたら、一度落ち込んでもまた復活することが出来るのではないでしょうか。
新たに周囲や自分の中に拠りどころを見つけ出して。
まとめ
以上が私が映画『怪物』を見た雑感になります。
私も保育士として、もっともっと子どもたちのことを怪物のように見ずに、子どもたちにとっても私自身が得体の知れないものにならないようにしないといけないなと思いました。
皆さんは、どのようにお感じになられたでしょうか。
この映画のどこに怪物を感じられましたでしょうか?
もしよろしければ、コメントで頂けますと、嬉しい限りでございます☺
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映画『さかなのこ』って、どんな映画?!
https://komaranaisekaiforkids.net/2023/12/14/osusumenoeiga-sakananoko/
最後まで【保育士にお勧めの映画】映画『怪物』を見た雑感をお読みいただき、ありがとうございました。
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