こんにちは。
子どものみかたブログです!
今回は、大ヒット公開中!映画鬼滅の刃無限城編について、考えてみようと思います!
〈映画公式HPリンク〉

私自身一保育士ですので、トコトン児童福祉的にこの映画を考えてみようと思います☺
かなりネタバレを含みますのでご注意を!
鬼滅の刃とは
以前にも鬼滅の刃について考えてみたのですが、
〈鬼滅の刃にみる、人として生きるために大切な価値観〉

今回の映画も、子どもが鬼にならずに人間に成長するために必要なことを提起してくれる感じがあります。
そんな見方、私だけかもしれませんが、、苦笑
逆にいうと、以前にも申しましたが、渡る世間は鬼ばかり!ではありませんが、今の世の中鬼ばかり!と作者の吾峠呼世晴さんは思っていて、それをどうにか成敗しないと!と思い立って描かれた作品なのかもしれません。
鬼童磨対人間胡蝶しのぶ
最初に出てくる鬼童磨ですが、努力やその過程を認めず、結果や勝つことのみを評価するという鬼。
今の世の中、どこにでも居そうですよね、割と。
勝利や結果、経済至上主義、お金が全て。
それによって苦しみ、むしばまれる人間。そして皆鬼化していく。
無駄な努力をする、出来ない人間を見下して馬鹿にする。
最近よく思うのですが、大人は子どもにお金や勝利以外の価値観を伝えられていないのではないかって。昔の方が良かったということではないのですが、良い意味で他人の子どもにも関心を持ってくれる大人って居たなと。
当然その中には悪意を持った大人も居たはずですが。
では、童磨はなぜそのような鬼になってしまったのか、見ていきたいと思います。
物語では童磨は「極楽教」の教祖夫婦の子として生まれ、とても高い知能を持ち、「神の声が聞こえるに違いない特別な子」として神格化され、本人の意思とは関係なく、勝手に祀り上げられ、以後「神の子」として信者を集めるための「看板」として利用されることとなります。
童磨の背景を考えると、私は童磨は元々共感性にやや難しさのある、人一倍知的能力の高いギフテッドの子どもだったのではないかと思いました。
記憶力がとてもよくて、素早い判断能力があると、あの時代では周囲にとっては神のように見えたのかもしれません。また、共感性に乏しく、何でもズバズバ思った通りに言ってしまうと、通常は社会では疎まれますが、神格化した彼の発言においては、神の声として説得力を持つ言葉として受け止められたのかもしれません。
しかし、彼は神の声など聞こえなかったと言っていますし、彼を頼り、悩みを相談しに来る人間を蔑むようにもなっていきます。
賢すぎるがゆえに。
そして事件が起きます。
浮気をした父を母が滅多刺しにして殺し、母は自殺をしてしまいます。
それを目の前で見ても、心が動かない童磨。
血で汚れた部屋は気にしますが、、(人の内面や感情ではなく、表面的なところに意識がいくという特徴をよく現している。)
それに挑む人間の鬼殺隊胡蝶しのぶ。
鬼に挑む原動力は、姉らを鬼に殺されたことです。
姉のカナエはその背景にまで思いをはせることが出来たのか、鬼の事を哀れに思っていますが、しのぶは鬼に殺された恨みが強く『仲良く』とは言っていますが、本当にはそのような境地にはなれていないようです。
炭治郎に『怒ってます?』と聞かれたり笑
とはいえ、人間は自分のためだけではなく、誰かのためにという時にこそ、とてつもない力を発揮する!という、この漫画のテーマにもなっている部分でもあります。
無限城に乗り込んできた鬼殺隊胡蝶しのぶは童磨と対峙します。
復讐心に燃えて戦うも、体格に恵まれないしのぶでは童磨の頸を落とす事は出来ませんでした。
そんな時、姉の幻影に叱咤激励されながら戦うしのぶ。
しかし、
姉の仇を討とうと死力を尽くして戦いながらも、力及ばなかったしのぶに童磨は次々に“賛辞”の言葉を送りつつどん底に突き落とし、その場に駆け付けた継子栗花落カナヲの目の前で両腕でしのぶを抱きしめて全身の骨を折り砕き殺害します。
決死の覚悟で戦うカナヲでしたが、その途中、炭治郎と義勇の2人に(一方的な)友である猗窩座が敗れた事を感知した童磨(猗窩座が死ぬ間際に人間に戻ったことを感じているような感覚の敏感さを見せています。)は「悲しい、1番の友人だったのに……」と言っていますが、共感性に乏しい童磨はそこまで深く嘆き悲しんでいる様子ではやっぱりないですね。強さに対する執着という、共通の興味関心からくる単純な仲間意識だと思われます。
その光景を見たカナヲに
「貴方何も感じないんでしょ?」
「この世に生まれてきた人たちが当たり前に感じている 喜び 悲しみや怒り 体が震えるような感動を 貴方は理解できないんでしょ?」
と的確に指摘され、更にそれを隠すため感情があるように振る舞う演技をしているのを「滑稽で馬鹿みたいだ」と嘲笑った上、
「貴方、何のために生まれてきたの?」
と鋭く指摘されます。
カナヲのこの残酷で正確な指摘には流石の童磨もいつもの作り笑いのような笑みが消え、本来の無感情な本性を露わにし無表情に。
「今迄 随分な数の女の子とお喋りしてきたけど 君みたいな意地の悪い子 初めてだよ」
「何でそんな酷いこと言うのかな?」
さらにカナヲは善戦するも、やはり上弦の鬼相手では分が悪く、何とか凌ぐカナヲでしたが、童磨は異常な速度で彼女の日輪刀を奪い取ります。武器を失ったカナヲを童磨は容赦なく襲い掛かりますが、寸前で伊之助が乱入し、彼女を救います。
童磨曰く、伊之助の母・琴葉は夫や姑による家庭内暴力に晒され続けた挙句、救いを求めて息子を連れて自身の万世極楽教の門を叩いたのだという。
しのぶの敵討ちとして怒りを燃やす伊之助でしたが、童磨は時間が無くなってきたとして「結晶ノ御子」に2人の相手を任せ、その場を去ろうとします。しかしその場を後にしようと扉に手をかけたその瞬間、片目が落ちて視界が割れ、童磨の体が崩れ始めます。
元々勝てるような相手ではないと考えていたしのぶは、1年かけて藤の花の毒を服用し続ける事で自らの体を毒の塊へと変化させて、さらに自ら身を捧げる事で大量の毒を盛るという決死の罠を仕掛けていたのです。
致死量の実に 700倍。
童磨はそれでも冷静に解毒の時間を稼ごうとカナヲを動けなくさせてしまいますが、伊之助が自身の刀を投げつける事でカナヲの刃を無理矢理押し込み、ついに童磨の頚を落とすことに成功します。
「死ぬんだ 俺」
自らの死を免れることが出来ないと悟ると、元々自他の命に執着がない彼はあっさりと自身の死を受け入れ、死に行く中においても恐怖や後悔などは全く湧かないことを自覚します。
「結局人間の感情というものは、俺にとって他所事の夢幻だったなあ」
悲しい鬼の末路です
が、そこでは終わりません。
「やあ。しのぶちゃんだったかな?カナエちゃん?」
死の間際、意識の中に現れたのは、自身の中に取り込み殺したはずのしのぶでした。
首だけの状態で彼女と再会し、カナヲ達への想いを語る彼女の表情を見た事で、生まれて初めて
「今はもう無い心臓が脈打つような気さえする」
「これが“恋”というやつかなぁ」と、人間の子どものような笑顔を見せ、
「 俺と一緒に地獄へ行かない? 」
としのぶを誘います。
この世からなくなる直前で童磨もまた人の想いに触れることで他所事の夢幻ではない、人間の感覚をほんの少し取り戻すことになります。
鬼獪岳対人間善逸
次に獪岳対善逸ですが、
獪岳が鬼になった背景ですが、
元々獪岳は、我妻善逸の兄弟子で、雷の呼吸の流派の修行を積んでいたという間柄です。
雷の呼吸の型を一つしか使えず、泣いてばかりの上に逃亡常習犯の善逸を嫌い、善逸に対して何かと罵倒したり叱責したりと、見下す態度を取っていました。
彼は熱心な努力家で、真面目に鍛錬しており、師匠の慈悟郎も善逸に「獪岳を見習え!!」と叱咤激励しており、善逸も獪岳に苦手意識を持っていたものの、自分よりひたむきに修行をする兄弟子を尊敬していました。
真面目が故に”自分は認められて当然だ”という自信過剰ともいえる強い承認欲求を抱えていて、それが認められないとすぐ不満をあらわにするという性質でした。
自分を認めてくれないと不満。
とてもわかりやすい、獪岳を言い表しているツッコミです!
この獪岳という鬼は人間だったころからずっと鬼の火種を抱えてたまま育ち、それがある事件が引き金となって鬼になってしまったと考えられます。それは、身寄りのない子どもたちと古寺で過ごしていた頃、お金を盗んだということで、他の子どもたちに追い出され、その夜道で自分が鬼から助かるために、他の子どもたちを売ってしまうという、、
そして、そんな兄弟子である鬼に対峙する善逸ですが、
善逸という人間は、
元々は捨て子であり、両親の顔も名前も知らずに育ちました。
映画鬼滅の刃無限列車編では、魘夢(えんむ)の作った夢で描写されていましたが、彼の深層意識は底なしの暗闇で覆われていました。作中では善逸の精神に侵入したのが男性だったためか、無意識領域に『男嫌いの善逸』が現れ、大きな鋏を持って侵入者に襲い掛かっています(「ここに入ってきていいのは禰豆子ちゃんだけなんだよ!」という笑)。
親から捨てられたという子どもの心理状態は一般的には、
自己肯定感の低下
不安や孤独感
対人関係の困難など
様々な心理的影響を受けるとされています。
特に、親からの愛情を十分に受けられなかった経験は、自己肯定感の欠如や、自分を愛せないという感情に繋がりやすいとされています。また、親の愛情を試すような行動や、過剰な自己表現、人間関係の構築の難しさなどの特徴があります。
一般的な善逸のイメージは、異常なまでにネガティブかつ小心者で臆病ですが、そのような背景に足りる理由が明確にあるということです。戦闘時には眠ることで無意識状態となり、恐怖などの邪魔な感情がなくなり、本来の戦闘能力を発揮できるようになるという、究極のギャップ萌えキャラです。
また、善逸は並外れた鋭い聴覚を持っています。このことから、親に捨てられたトラウマ体験からそうなったのかはわかりませんが、発達的に凸凹があるのは間違いないようです。人よりも常に不安や緊張を感じやすいという、そういう子どもや大人の生き辛さも現わしているキャラクターと言えるのではないでしょうか。
そして、元々そんなに才能が無い子でも、自分なりに頑張って一芸に秀でることや得意点を見つけて独自の路線を構築することも出来るんだよ!という、選択肢や希望を示してくれているとも思えますね。
鬼猗窩座(あかざ)対人間炭治郎および人間義勇
最後に、鬼猗窩座(あかざ)対人間炭治郎および人間義勇ですが、
まずこの映画の核になっている鬼猗窩座ですが、かなり丁寧に回想シーンが描かれていました。
上弦の三にして、このキャラクターに対する作者の方のとても強い思い入れを感じます。
とても幸せなシーンが続き、これが上弦の三?!という前振りやブラフが立ちまくり、そこから鬼になるほどにどれだけ地の底に落とすのか、ドキドキしながら見ていました。
無限列車編で煉獄杏寿郎と炭治郎を襲撃し、負傷し動けずにいる炭治郎を「弱者」と断罪し、攻撃を加えようとするも煉獄によって阻止されます。そして煉獄を強者と認め、と鬼へ勧誘をするが拒否されます。
水柱・冨岡義勇も加えた2対1の不利をものともせず、義勇を蹴り飛ばし、炭治郎を目を見張る成長だ!と称えた上で「俺が嫌いなのは弱者のみ 俺が唾を吐きかけるのは弱者に対してだけ そう 弱者には虫唾が走る反吐が出る 淘汰されるのは自然の摂理に他ならない」と言い張っていました。
とにかく弱者は認められない、強くなければならないという強い信念に囚われています。
このように考えるに至った背景が後に明らかになります。
2人と戦う中で、明らかに今までと様子が異なる炭治郎に、
人間だった頃の遠い過去の記憶を思い出させる感覚を本能的に感じたのかもしれません。
そして、ある女性の呼ぶ声が聴こえてきます。。
狛治(猗窩座)の話は、少年時代から始まります。
狛治には少年時代、病気の父がいました。物心ついた頃には病気で寝たきりの父と二人暮らしをしていて衰弱する父が働けない以上、暮らしはとても貧しく、狛治は大人からスリをすることで父を養い、高価な薬を買って病気を治そうとします。
しかし捕まれば当然厳しい罰を受け、その都度罪人としての入れ墨を入れられていました。
そして、6回目につかまった時の帰り、父親が自分のせいで亡くなったことを知ることになります。
“狛治へ”
“真っ当に生きろ まだやり直せる”
“俺は人様から金品を奪ってまで生き永らえたくはない”
“迷惑をかけて申し訳なかった”
「父の為なら自分は死んでも構わない」と厳しい罰も厭わなかった少年にとって、父の死は残酷すぎるものでした。
これは現代でいうと、子どもの貧困を現しています。
現在、子どもの貧困は深刻になっていて、夏休みのような長期休業中になりますと、それがさらに顕著になります。
〈給食のない夏休み、貧困家庭を圧迫〉

子どもが鬼に育ってしまわないように。。
父の死後、孤独となった狛治は自暴自棄になり、喧嘩に明け暮れていましたが、その先で慶蔵と出会います。慶蔵は、狛治を自身の道場に勧誘します。父の死と直前の乱闘で気が立っていた狛治は、慶蔵に殴りかかったが逆にボコボコに殴られて気絶します。妻が娘の看病疲れで入水自殺をしたことを狛治に語ると「生活費を稼ぐために家を空けがちな自分の代わりに娘を看病してくれないか」と頼みます。
世間ではあまり問題視されていませんが、子どもが家族などの看病をすることをヤングケアラーといい、これも深刻な社会問題になっています。
ヤングケアラーは、以下のような問題を抱える可能性があります。
-
学業への影響:
授業に集中できなかったり、遅刻や欠席が増えたり、宿題や課題をこなす時間が取れなかったりすることで、学力低下や進路選択に影響が出る場合があります。
-
心身への影響:
疲労困憊になったり、精神的に不安定になったり、十分な睡眠時間が取れなかったりすることがあります。また、友人関係や趣味など、同世代の子どもたちが経験するはずの経験を十分に得られないことも、心身の成長に影響を与える可能性があります。
-
進路選択への影響:
介護や世話が優先となり、進学を諦めたり、就職先を限定したりする場合があります。また、将来のキャリアプランを考える余裕がなく、自己肯定感が低下することもあります。
-
社会との孤立:家族の世話に追われ、学校生活や地域活動への参加が難しくなり、社会とのつながりが希薄になることがあります。
狛治が唯一困ったのは父や恋雪のようなもっと守られ、大切にされるべきはずの病人が、周りの人々に対していつも済まなそうに詫びたり泣いたりすることでした。
やがて恋雪の体調は安定し、まだ病弱ながらも普通の生活ができるようになっていきました。
そんな時、狛治は慶蔵に呼び出されます。
「この道場継いでくれないか?狛治。恋雪もお前のことを好きだと言っているし」
「は?」
慶蔵の言葉に何のことかわからない様子の狛治でしたが、顔を赤らめる恋雪を見てようやく自覚します。
狛治は、罪人である自分自身の明るい未来をうまく想像することができなかったのです。
父の遺言通りやり直せるかもしれない!と希望で胸がいっぱいになり、狛治はこの二人を「命に代えても守りたい」と思うようになりました。
そしてある夜、初めて会った頃の約束通り、恋雪と共に花火を見に行くことに。
狛治の手を握り、顔を赤くしながら逆プロポーズをする恋雪。その言葉を聞いた狛治は涙を浮かべながら、恋雪の手を握り返して誓います。
「はい。俺は誰よりも強くなって、一生あなたを守ります」
若い頃に一度過ちを犯したとしても、早いうちに適切な出会いと支援があれば立ち直ることが出来るという、とても感動的なシーンですが、現代社会ではというと、
〈犯罪少年の30%は再非行〉

夫婦となる約束を交わした後、2人の幸せは唐突に絶たれることになります。
それは父の墓に報告した帰りのことでした。
「誰かが井戸に毒を入れた…!!」
慶蔵の道場は、何の後ろ盾もない慶蔵が道場と土地を手に入れたことを逆恨みした隣の剣術道場から嫌がらせを受けており、門下生が入っても次々と辞めていく原因となっていました。
しかし一向に道場を潰せない事に業を煮やした彼等は、二人の結婚を聞いた跡取り息子が、戦っても勝てないならと道場の井戸に毒を仕込む暴挙に出たのでした。
その後、激しい怒りで復讐を果たそうとする狛治は、2人に毒を盛った剣術道場を単身で襲撃します。
跡取り息子含む道場の門下生67人全員を素手で惨殺し、その場に地獄絵図を生み出してしまいます。(跡取り息子についても、その父が隣の道場に嫉妬し、潰そうとして失敗し改心していたことなど、それなりの背景がありますがここでは省略いたします。)
こうして狛治は、慶蔵から教わった“守る拳”で人を殺してしまうことになったのでした。
復讐を遂げた狛治でしたが、実父に続き、恩人と愛する人を同時に失った事で呆然自失となり、そのままあても無く夜の街を徘徊することに。
そんな狛治の前に現れたのが鬼舞辻無惨でした。
自暴自棄となっていた狛治は彼を殺そうとするも、次の瞬間には無惨に倒され、彼の血を大量に取り込まれてしまいます。
全てを失い、生きる意味を見出せなくなった狛治は、その血に適応し鬼に変貌。
こうして人間『狛治』の記憶を奥底に追いやり、強さだけを求める鬼『猗窩座』へと変貌し、以後百年以上「無意味な」と自嘲するほどの不毛な殺戮を繰り返すことになります。
あの日恋雪を守るために誓った「誰よりも強くなる」という人間としての言葉を鬼になったことで大切だったはずの理由を忘れ、その使命感だけで生きていくことになります。
奥底に忘れていた記憶を命を賭して挑んでくる炭治郎と義勇の2人と戦うことで思い出させることになります。煉獄杏寿郎を葬った破壊殺・滅式を構えたその時、目を覚ました炭治郎にかつて慶蔵に殴られた時のように拳で殴られます。
刀を落とし、たまたま拳での攻めになったことによって、過去に闇に落ちていた自分の目を覚まし、記憶を鮮明に呼び起こすことになります。
“生まれ変われ 少年”
自身が反吐が出ると忌嫌っていた弱者とは「師匠に自分の人生を生きるために言われたこと、父の真っ当に生きろという遺言も守れない」狛治自身だったこと、そして強くなる本当の目的は恋雪を守るためだったことを思い出し、炭治郎に微笑んだ(感謝の意味?!)後、煉獄の命を奪った滅式を自分自身に打ち込むのでした。
しかし、鬼としての身体は狛治の想いに反して猗窩座に再生していきます。
その間、猗窩座は死んだ父と慶蔵の姿を見ます。
まともになれなかったと謝る狛治に対して、
「関係ねぇよ お前がどんな風になろうが 息子は息子 弟子は弟子 死んでも見捨てない」
そんな狛治にも鬼に引き戻そうとする無惨。
「強くなりたいのではなかったのか?お前はこれで終わりなのか?猗窩座」
その言葉を聞いた瞬間、再び猗窩座の姿になる狛治。
俺はまだ強くなれる 約束を守らなければ!
再生を続ける体を起こそうとした時、
「狛治さん。 ありがとう もう充分です」
その声とともに現れたのは、妻となるはずだった恋雪でした。
鬼としての、猗窩座としての自分を貫こうとするあまりに、逆に自分への強い想いを感じ救いに現れた恋雪。
その後も無惨の声は聴こえていましたが、狛治に届くことはなく、恋雪に抱き着いて泣きじゃくります。
謝罪をする狛治に、
「私たちのことを思い出してくれて良かった」
「元の狛治さんに戻ってくれて良かった…」
「おかえりなさい あなた…」
猗窩座の身体はこれまでのように再生することなく、やがて狛治と恋雪の魂は共に炎の中に呑まれて消えていきます。
ご意見・ご感想など 子どものみかたブログ読者の方から頂きましたご意見などです。