こんにちは。
子どものみかたブログです。
今回は子どもの貧困について考えてみたいと思います。
以前、NHKの番組で「子どもの相対的貧困」をテーマにした内容が放送されていました。

それを見ながら改めて思ったのは、貧困はお金の問題と共に、心や将来の生き方にまで深く影響するということです。
今日・明日の食事に不安があるということ
「明日、何を食べるか」に頭を悩ませる生活は、精神的に大きな負担です。
心理学の研究でも、経済的ストレスが続くと人は悲観的になりやすく、自己効力感(自分はやれるという感覚)が低下するとされています。
子どもであれば、「人生はつらいものだ」という感覚が早い段階で身についてしまい、
心の成長や将来の選択肢を狭めることにもつながります。
「贅沢しない」では済まない生活の制限
お金がないから贅沢を控える…それは我慢で乗り越えられるかもしれません。
でも「お金がないから人付き合いをやめる」「病院に行かない」「子どもを産まない」という選択は、
人とのつながりがないということは、困った時に助けを求められず、
すべて自己責任となり、大きなリスクを抱えることになります。
さらに、病気になっても受診できない場合、健康や命に直結する危険があります。
公的扶助と教育機会の保障
最低限の生活を守るためには、公的扶助は不可欠です。
憲法25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活」を実現するためにも、
衣食住だけでなく、長い目で見て教育の機会も保障されなければなりません。
もし「お金がないから進学を諦める」ことになれば、学びだけでなく人間関係の面でも不利なスタートになります。
これは将来の収入格差や社会的孤立にもつながりやすく、世代を超えて貧困が連鎖する原因の一つになり得ます。
働いても報われない構造
また、ひとり親家庭の貧困率は5割以上となっています。

特に母子家庭では、養育費の未払いも大きな問題です。
〈養育費の不払いは、アメリカでは「犯罪」です〉

こうした構造的な不平等は、個人の努力だけではどうにもならない部分です。
さらに、低賃金労働は経済界にとっては安い労働力でもあり、
その存在が海外と比べても低い水準の公的扶助の拡充を妨げる一因になっているという見方もあります。
〈欧州各国よりも手薄な、日本の子育て支援政策〉

「一億総活躍社会」という言葉も、背景にはそうした経済的思惑が見え隠れします。
昔はあった「支え合う貧しさ」
一昔前、日本には「貧しいけれど楽しい我が家」という言葉がありました。
それは、祖父母や親戚、近所づきあい、友人関係など、人とのつながりが強かったからこそ成立した価値観です。
困った時は助け合い、精神的にも支え合える環境がありました。
しかし今は、地域や家庭のつながりが薄れ、「孤立した貧困」が増えています。
同じ「貧しさ」でも、人との距離感が違えば、受ける心のダメージは大きく変わります。
今こそ求められる「公共の福祉」
現代の日本では、ブータンのような「貧しいけれど幸せな国」のあり方は、
人とのつながりの希薄さゆえに再現が難しくなっています。
(ただ、日本では地方に行くとまだまだ地縁のつながりが強く、その影響から考え方が硬直していて、逆に若者が生き辛いということがあるようですね。)
こんな時代だからこそ、その欠けた部分を補うのは公共の福祉しかありません!
国や行政が、生活の土台を守る制度と、お金のためばかりではなく、人とのつながりを再構築する保育や教育を整えることも、今の社会に急務ではないでしょうか。
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