子どもに見せたいアニメや映画

「白夜行」と「タコピーの原罪」が問いかける:子どもの罪と、大人の責任

広告
子どもに見せたいアニメや映画

こんにちは。
子どものみかたブログ」です!

今回は少し視点を変えて、「子どもが罪を背負う」とはどういうことか――
そんなテーマで、2つの作品を通して考えてみたいと思います。

一つは少し古いですが、2006年にTBS系で放送されたドラマ『白夜行』。
もう一つは、最近アニメ化されて話題になっている『タコピーの原罪』。

どちらも子どもたちが思い詰めた末に、大人では到底考えられないような行動に出る物語です。
でもその背後には、大人たちが“気付かなかった””気付けなかった”あるいは別の言い方をすると、

『気付いてあげることが出来なかった』

という現実があります。


1話目で決まってしまう運命――『白夜行』

『白夜行』は、1話目で衝撃的な事件が起き、その時点で2人の子どもの運命が決まってしまいます。

その後の物語はずっと低空飛行のように進んでいきます。明るい希望は見えず、暗く重たい雰囲気の中で、2人は一緒に居る時も離れている時も、お互いを思い合いながら、それでも苦しい道を日々進んでいく――

一視聴者としては「もし周囲に、子どもの罪に気付いてくれる大人がいたら…」と、何度も何度も考えてしまいました。

大人がもう少し早く気づいて、声をかけていれば。

そして、

過ちを償い、再出発する道を与えていれば。

 

子どもたちの人生は、あんなふうに歪まなくて済んだのではないか、と。


『タコピーの原罪』に見える「もう一つの白夜行」

そして『タコピーの原罪』。
こちらはファンタジー要素のある作品ですが、描かれているのはまさに「現代の白夜行」です。

いじめ、家庭環境、孤独、無力感。

しずかちゃんがタコピーに出会う前に、適切に大人が介入していれば。

タコピーに“救い”を求めなくてもよかったはずなんです。

それなのに、大人たちは誰も気づかない。そして、日々ドンドン深みにはまっていく、、

学校の先生などは、気づいていても実は背景として複雑な事情があることも知っていて、いじめを見て見ぬ振りをして面倒なこととして「踏み込まなかった」のかもしれません。

また、根本解決にはならないような正義感は、子どもをさらに追い詰めたり、問題の先送りをしたりということがあるのではないでしょうか。

タコピーと同級生の直樹くんは当然ですが専門家でもなく、根本解決が出来る立場でもないのに、まだまだ未熟な正義感のみから助けようとします。

これは現代社会にも起きていることだと考えられます。


子どもに必要なのは「真に頼れる選択肢」

タコピーのような存在は、現実にはいませんが、あのようなハッピー道具に頼るという根本解決に繋がらないような中途半端な手助けによって、逆により深みにはまっているようにも見えます。

タコピーは今の社会でも、中途半端な手助けによって、人が逆に追い込まれたり不利益を受けていることがあるという象徴なのではないでしょうか。

子どもにとって本当に必要なのは、

  • 本気で話を聞いてくれる大人
  • 学校や家庭以外の自分の居場所と感じられる場所
  • 先生や家族が頼れない場合、それ以外の警察や児童相談所など、根本解決に向けて“助けてと言える”存在

こうした複数の「選択肢」を、あらかじめ子どもに伝えておくこと。

私は、学校教育で早いうちに、いじめや虐待の定義を教えておいた方が良いと思っていますし、もしどうしようもない問題に直面したら、専門機関である警察や児童相談所などを活用するようにも伝えておくのが良いと考えています。

それは、ある意味では自分で子どものすべてを背負うことが出来ないからこそ、大人として出来る子どもを守るための最低限の義務ではないでしょうか。


「あなたのせいじゃない」で終わらせない

『白夜行』では、武田鉄矢さん演じる刑事が、関わっていた大人たちにこう言います。

「あなたのせいじゃない」

でも、私はこの言葉がどうしても引っかかりました。

本当に、誰のせいでもなかったのでしょうか?

「見て見ぬふりをしたこと」が虐待をしたことと同じくらい、重い罪だったということはないでしょうか。

子どもを救うには、大人の“関わる覚悟”が必要

気になる子がいたら、声をかける。
少し様子がおかしいと感じたら、話を聞いてみる。

それは「余計なお世話」ではありません。
むしろ、それこそが子どもを守る第一歩です!

無関心が一番の罪と言われたりしますが、見て見ぬ振りも同じなのかもしれません。

まずは園や学校に伝えることでしょうが、児童相談所や警察に通報することも含めて、
大人が“関われる選択肢”を、自分の中に持っておく。

それが、子どもを犯罪や孤立から守ることにつながるのではないかと。


最後に:子どもは「助けて」を出せないことがある

子どもは、大人がすることに対して我慢強いことがあります。

また、初めは大人が自分に対して悪いことをしていると気付けないこともあります。
そして、自分の状況がおかしいとすら思えないこともあります。

だからこそ、周囲の私たち大人が気づくこと。
「何かおかしい」と思ったときに、動けること。

それが、子どもの未来を守るきっかけになるかもしれません。

参考

【保育のねらい(基本的信頼)】『手伝って!』と言えるようになる前に必要なこととは?
自ら人を頼ることが出来るための条件について考えてみました。保育を長年していて、人を頼るって一口にいっても、意外と難しいんじゃないかっていうのがあり、それはなぜなのか、何が必要なのかを考えました。

まとめ

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

私はある意味ではとても衝撃的な作品である、タコピーの原罪の作者タイザン5という方は、白夜行を見たあるいは読んだのではないかと思ったのがこのブログを書くきっかけになっています。

そうではなかったとしても、「白夜行」や「タコピーの原罪」はフィクションですが、
その中には、私たち大人が現実で見逃してはいけない視点が詰まっています。

白夜行では、身内が見て見ぬ振りをすること、警察が真実を追求することが出来なかったことが大人として大きな罪ですし、タコピーの原罪では、担任の先生の見て見ぬ振りがこれもまた大きな罪になっているように見えます。

教師や警察官、それぞれが専門職として仕事を全うすること、子どもの罪を知り得た大人は、子どものために罪を償う機会を与えること、その大切さを教えてくれました。

もしあなたの周りに、気になる子どもがいたら――
ほんの少しでも「気付いてあげる勇気」を持っていただけたら、
それが、大きな問題を抱えていたり、罪を犯した子どもの人生を修正することになるかもしれません。

 

参考

「人に迷惑をかけちゃダメ!」は本当に正しい? 子どもに必要な“頼る力”とは
「人に迷惑をかけない子」が本当に幸せとは限りません。「頼ることは悪いことじゃない」と伝えられる保育と子育ての在り方を考えます。
広告
共有ありがとうございます!
遊をフォローする
広告

ご意見・ご感想など 子どものみかたブログ読者の方から頂きましたご意見などです。

タイトルとURLをコピーしました