こんにちは☺ 子どもの味方になりたい!子どものみかたブログです!!
最近になってようやく、子どもは発達によって何かが出来るようになることと同時に、
個人的には、何かが出来て自立することばかりを優先するのはどうなのかなって思っていますが、、
では、困ったら『手伝って』『助けて』と言えるようになるまでに必要なことは何かを考えてみたいと思います!
以前は困ったら訴えていた?!
困ったら最後には人を頼ることはとても大事だとは思うのですが、
私は子どもは元々は困ったら周囲に訴えるという力は持っていると思っています。
それは0,1歳児を見ると、嫌というほどわかりますよね😓
赤ちゃんは不快だと泣いてわめいてそれこそ必死にアピールします!
まだ人や社会という認識はないでしょうが、その積み重ねによって信頼感を得ていきます。
困っても訴えなくなる理由
赤ちゃんは生きるだけで必死ですので、自分から訴えられると思うのですが、例えばその後それが充分に可能でしょうか?
保育所での保育士の配置基準は今、
これで、泣いて訴えている子どもに対して、すぐにポジティブな対応が可能でしょうか?
その度に、体を引き裂かれる思いなのですが、どちらかに諦めてもらったり、待たせてしまったりが繰り返されます。
大人が気付かないうちに我慢をすることが定着したり、空気を読むということになっていきます。
それが大人からすると、『成長したんだ』といいことのようにも見えますが、実は成長ではなく、発達的にはよくないと思われます😓
我慢や諦めは、この時期の子どもの発達にそぐわないので、
そのような育ちがベースにあり、例えば3歳や4歳になって言葉が使えるようになったからといって、急に『困ったら言ってね!』というのはちょっと無理があるような気がしますね😓
まとめ
『困ったら(言葉で)言ってね!』という支援が可能なのは、困ったら助けられるという環境で育った前提があってのことです。
人への基本的信頼と言ってもいいのかもしれません。
そして、困ったら気付いてくれる、助けてくれるという経験をしていたら、わざわざ大人から『困ったら言ってね!』という必要もないのかもしれません。
そこでもし、言葉が増えても勝手に助けてもらえるのを待ってしまったりして、言えない場合は『困ったら言ってね!』という、子どもからの言葉での発信を待つ支援が、そこで初めて可能になります!
なので、まずは大人が子どもの困っていることに積極的に気付けるようにする、訴えがあったらよほどのことがない限り、助けるというベースが大事です☺
生きていたら何度も辛く悲しいこともありますし、その度に1人で乗り越えなきゃいけないのはしんどいですよね、、
補足
言葉で訴えるにしても段階には注意した方がいいと思います☺
例えば、3歳児だと言葉が劇的に増える時期ですが、まだ使い始めなので困ったら『うー-ん!』とか『やって!』という程度かもしれません。
4歳になるともう少し意味を理解して言葉を使うようになりますので『手伝って』とか『助けて』など、簡単な言葉を使って訴えられるようになると思います。
そして、年長になりますと個人差には注意しながら、状況や気持ちの説明を加えて『~だから~してほしい』などと無理なく言えるように支援出来るといいと思います。
よくありがちなのは、一足飛びに難しい言葉で言わせようとするのを見かけますが、それもハードルを高くすることになり、言いにくくなる原因になってしまいます😓
〈まとめ動画〉
補足2
過干渉と人を頼ることについてですが、
過干渉は、子どもが何かしようとする前から大人が引き取ってしまったり、または子どもの意思で選択した結果が、子どもが望んでいない結果が出た場合、手を加えて変えてしまうことです。
困ったら助けるというのは、あくまでも子どもが1人ではどうしようもなく難しい場面に直面した時に、子どもから泣くことや言葉など、何かしらの発信があり、手を差し伸べるということです。
悪い結果も子ども自身が選んだ結果なら、受け入れてもらうしかないです。
たとえゴネてもですね😓
子どもが挑戦しようとしているのにまたは、望まない結果を良い結果に変えるために手を差し伸べると、成長の機会を失い、誰かを頼ると何でも上手くいくんだ!と勘違いしてしまう可能性がありますので、注意が必要です。
無理をさせ過ぎるのも良くないですし、助けすぎるというのもまた良くない、ということですね。
ここまで【保育のねらい(基本的信頼)】『手伝って!』と言えるようになる前に必要なこととは?、をお読みいただきまして、誠にありがとうございました☺
もしご意見ご感想などございましたら、コメントで頂けますととても嬉しいです!
ご意見・ご感想など 子どものみかたブログ読者の方から頂きましたご意見などです。