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【保育のねらい(ギフテッド)】国がギフテッドの子どもを支援することは、これまでの教育理念を覆すことになる?!

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ギフテッド 子どもの味方のブログ

こんにちは☺ 子どもの味方になりたい!、子どものみかたブログです!

 

国は、2023年度から特異な才能のあるギフテッドの子どもを本格的に支援する!という方針を出しました。⇒文科省リンク

 

果たして、ギフテッドの子どもを支援することは、今の教育制度の中で可能なのでしょうか?

 

特異な才能のある子ども

私はこれまで、多くお子さんを支援してきましたが、中でも

 

認知能力が、とても優れている子どもも居ました。

 

 

私の力なんかすぐに飛び越えて、

 

知能がぐんぐん伸びて、当然のように高学歴といわれる学校に難なく進学して、国の中枢や大企業などで活躍されるんだろうなあ、と思われる子どもも中には居ました☺

 

ギフテッドの子どもの社会性

でも、

 

認知的な能力では非常に優れているのですが、

 

そんな子どもの中には、

 

今の制度で大人が用意した環境になじむのに、とても苦労しているという子どもも居ました。

 

なぜそうなるのかというと、

 

そのような子どもは、みんなと同じ一律の枠組みにはまるのが難しいということがあったりします。

 

しかも、身近に支援している支援者は、それが子どもが悪い!という評価をしてしまっていることもあります。

 

子どもに合わせて大人が関わり方を変えることも、環境設定を変えることもせずに、適応できない子どもが悪い!と考えるのです。

 

認知力と社会性は、全く違う能力が必要だったりするのですが、子どもが努力をしないから、出来るはずなのに頑張らないから悪いんだという感じです。

 

適応できないのを保護者のせいにする場合もありました。

 

私から見ると、子どもは頑張りすぎているくらいに見えていたり。

 

保護者の方も。。

 

自己評価が低くなる子ども

そのような子どもは、過度の頑張りすぎがストレスになり、登園の拒否に現れたり、何度も否定されたりすることで、それを覆そうと、徐々に大人に反発するような態度になっていきます。

 

本人なりに頑張っているのに、否定されるということを繰り返しますと、よけいに周囲を信頼出来なくなり、言葉に耳を傾けにくくなっていきます。

 

ついていけない自分、頑張っても出来ない自分、大人から注意され怒られる自分、仲良くしたいのに友達に受け入れられない自分などを繰り返し感じることで、どんどん自分を信頼出来なくなります。

 

自己肯定感や自己効力感は、地に落ちてしまいます。

 

子どもの認知能力がどんなに優れていても、空気が読めないとか周りに合わせられない、友達と上手く関係性が築けないなどがあると、現場ではなかなか受け入れられないのです。

 

また、保育所保育士や普通級の学校の先生は、特に社会性やコミュニケーションに難しさを抱える子どもを支援するスキルがないこともあります。

 

そして、やや支援が難しい子どもを支援する方法を教え、指導する同僚も居なかったり、余裕が無かったりもします。

 

そんな現状なのに、ギフテッドの子どもを支援するというのは、とても無理があるように思えます。

 

ギフテッドな子どもを逆に追い詰めたり、能力を開花させなかったのは、ある意味これまで『集団』を優先してきた国の方針であり、教育制度でもあるのですから!

 

〈ギフテッドクラスを作った学校〉

「あれは私たちの挫折」…“ギフテッドクラス”を作った学校が経験した、特別な子どもたちを教育することの弊害とは? 選抜することが「差別」につながりかねない事実(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース
“ギフテッド”という言葉が浸透し、国も才能教育に関する議論を始める中、困難を抱えた子どもたちの受け皿となっているNPO法人「翔和学園」。学園長が「あれは挫折でした」と語る〈ギフテッドクラス〉開設で生

 

 

ギフテッドの子どもを支援するために必要なことは

ギフテッドな子どもだけを支援するというよりも、まず保育者や教育者として、子どもを個々に評価してそれに合わせて支援が出来る人を育てる必要があります。

 

みんな同じで一律に!ではなく。

 

このような180度の方針転換は、相当大変な作業だと思われます。

 

これまでそんな理念は無かったし、支援者も居なかったに等しいですから。

 

私はギフテッドかどうかよりも、

 

普遍的なこととして、

 

個々の子どものニーズに合った、支援なり教育なり子育てなりを普通に当たり前に出来る世の中であることが大切だと思っています。

 

子どものニーズというと、子どものやりたい放題と受け取られかねませんが、

 

個々の子どもの成長発達興味関心に合わせたという意味です!

 

そうすることで、これまでの判をついたように、皆同じことが出来る必要があるというねらいではなく、個々に興味関心が高いということが支点になって、モチベーションを高く持ち、自ら努力もしやすくなり、持っている力を発揮しやすくする必要があります。

 

個々に持っている能力や、タイプに合わせた支援や教育をすることが大切で、これまでのように単に社会性やコミュ力が低く、大人の都合で枠組みや集団にはまらないなら集団から弾く!というのを辞めることです。

 

それが、本来大人が子どものためにしないといけなかった仕事だと思います!

 

 

まとめ

 

いかがだったでしょうか。

 

登園拒否や不登校など、大人の用意した枠組みに嵌らず、自分らしさを出せないで苦しんでいる子どもはたくさんいます。

 

彼らの元々持っている力を自然に発揮することが出来るようにすることが大切ではないでしょうか。

 

それが出来たら、ギフテッドかどうかとかは、あまり重要な事ではないと思うのです。

 

もしそれをいうなら、全員がギフテッドな子どもです!!

 

全ての子どもが、神様から与えられた特別な何かを持って生まれてきた、贈り物です。

 

それにいかに大人の側が合わせて、必要なものを与えられるか、子どもを同じ歯車のように扱うのではなく、かけがえのない個人として、人格を持った一人の人間として見るということではないでしょうか。

 

〈子どもが困らないようにするための保育集 ここま〉

子どもの支援方法 | ここま(子どもが困らない世界)
子どもが困らない世界を広げるためのサイトここまです! 子どもの支援方法を集めています! 子どもの支援者一人一人の手が頼りです!! 子どもがより活き活きとした子ども時代を過ごせるために。

 


 

最後まで【保育のねらい(ギフテッド)】国がギフテッドの子どもを支援することは、これまでの教育理念を覆すことになる?!をお読みいただき、ありがとうございました☺

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