保育士のために

【保育のねらい(差別)】言葉選びと差別意識

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保育士のために

こんにちは☺

いつも子どものみかたブログをお読みいただき、ありがとうございます!

今回は、ちょっと何を言っているのかわからないと思うかもしれませんが、笑

この言葉を使うと、差別的な意味があるから使わない方がいい!って、言われるけれど、

本当は、その言葉を使うかどうかよりも、差別意識があるかどうかの方が大事じゃない?!

ってことについて、考えてみたいと思います。

 

〈参考:障害のある子どもの支援はなぜ保育の原点と言えるのか〉

【子ども主体の保育への道!】講義6なぜ障害のある子どもの支援が保育の原点と言えるのか?!
保育士には、困っていたり、不安に感じている子どもに気付き、適切な支援をするという役割りがあります。そのことから、障害のある子どもの支援と保育の原点について考えてみました。

 

何と言ったらいいのかな?

その言葉じゃなくて、こっちの方がいい!みたいなことを言われても、

こちらは全く気付いてもいない!ということがあってね。

その言葉を使っても差別意識がない人が居ることと、言葉は選ぶけれど、世間の差別意識があるのは変わらないという感じ?!

なんだかモヤモヤするんだよね。

 

その言葉を使うと差別を連想するし、特定の人に対してのみ使っているとか言われても、

差別というよりも、わかりやすい言葉をただ選んでいるだけってことがあって、、

考えすぎなのと同時に、大事なことは別なところにあるんじゃないかって。

その考えすぎ意識が、言葉選びだけで終わってしまい、ずっと差別意識は変わらないままってことに、返ってなっていないかなって。

 

言葉選びが最終系で、本当に必要な正しさを理解する機会がなくなっているように思えるのです!

 

差別意識が明らかにあった時こそ、

その人に説明なり、正しさなりを教えるのは必要です!

特に、子どもの間に。

その人が大人だったら、もう手遅れというか、かなり考えを変えるのは難しいと思ったりはしますが、子どもならまだ十分修正が可能です。

大人になる前に、差別はなぜ悪いのかを定着するまでよく教えること!

の方が、よほど言葉選びよりも大切なことのように思えるんだけど、どうだろうか。

意味わからないかも苦笑

 

また、少し似た話で、、

障害のある人という場合と、

障害を持つ人という場合を比べると、

障害というのは、

何かをしようとしたら、何かが妨げになって出来ない事、

それが障害だという事だとすると、

障害のあるだと、その意味に当てはまる。

でも、障害を持つだと、本人自身の一部分が障害そのものという意味になる。

言葉自体の意味合いが全然違ってしまうから、

それは気を付けたいと思う。

 

なので、例えば、

障害の害の字ですが、

碍であったり‟がい”ってひらがなであったりにするって考えがありますが、

どちらでもいいように思います。

それに変えることで、

仮に差別行動が減ったとしても、

差別意識は変わらないんじゃないかな?という疑問があります。

行動は減るけれど、心の内に潜ったまま、修正される機会もなくなるんじゃないかなって。

そのような状態だと、何かがきっかけになると、突然差別意識が表出するってあると思われ、

差別意識はあるけど、上辺は無いように振る舞っているってことになり、どうなのかなって。

 

大切なのは言葉や漢字選びではなく、差別意識が無くなること、差別は悪い事という概念じゃないかな?というお話でした。

 

〈参考:障害のある人が居ない社会は、本当にいい社会なのか?!〉

【保育のねらい(特別支援)】障がいのある人が居ない社会は本当にいい社会なのか?
障害のある人が居ない社会の方が本当にいい社会なのかを考えてみました。

 

 


最後まで、言葉選びと差別意識をお読みいただき、誠にありがとうございました。

子どものみかた

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