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【保育ニュース】こども誰でも通園制度(仮称)検討会で感じる違和感

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こんにちは☺ 子どものみかたブログです!

 

今回は、こども誰でも通園制度検討会で私が感じる違和感について、考えてみたいと思います☺

 

先日は、検討会の進捗状況をご紹介いたしましたが、

【保育のニュース】第2回こども誰でも通園制度検討会からうかがえる、この制度の方向性とは?
こども誰でも通園制度の検討会が開かれています。その内容からこの制度の方向性について考えてみたいと思います。

 

その中でも指摘しましたが、私は国が用意された資料の内容に、2点違和感を感じています。

 

それでは、その違和感って何なのか、確認してみましょう☺

 

こども誰でも通園制度検討会の違和感

まず1点目ですが、

 

保育士の専門性の発揮がメリット?!

〇 職員に求められる力量や難しさ、やりがいはどのようなものか

という項目があり、

 

① こどもの日々の体調、好きな遊びなど、こども一人一人の特性・特徴を時間をかけて把握して関わっていくこと、通常の保育と比べると少ない時間で理解することや、こどもの育ちを連続的に捉えることに難しさがある一方で、これまでかかわることの少なかったこどもや家庭とかかわることで、専門性をより地域に広く発揮できるのではないか。
② 保育所等では普段関わることの少ない、在宅で子育てをする保護者とも関わっていくことができ、その保護者に対して家庭だけでは気づかないことを伝えたり、育児負担や孤立感・不安感の解消につなげていくなど、在宅で子育てをする保護者に対しても専門性を発揮できるのではないか。
③ こども毎に在園時間が異なることを踏まえ、現場の実情に応じた職員体制等のマネジメント、リスク管理、従事者間の情報共有が適切になされることが重要ではないか。

と記述されています。

 

専門性を発揮出来るというのは、保育に関する業務ですので、当然といえば当然だと思うのですが、それより職員にとって一番の難しさは、

 

専門性を発揮すること自体ではなく、普段の業務でも、勤務時間内に収めるのが難しい状況なのに、さらに負担が増し、勤務時間が伸びないかということのはずです。

 

現実に起きる困難さは、おそらく、そういう重すぎる負担についてなのに、専門性を発揮出来る機会に出来るという、ある意味当然のことをやりがいとして挙げられているのに、とても違和感があります。

 

この資料を作成された方が、あえて専門性の発揮を挙げられたねらいは、おそらく業務負担増になることは間違いないので、それを隠すため、保育士の使命として、当然持つべき心構えを挙げられたのではないでしょうか?

 

この仕事は、やりがいを持って出来るでしょ!って。

 

専門性の発揮と言われると、単純な方は、それはやらないといけない!と思うかもしれません。

 

でも、『ちょっと待てよ』とここで冷静にならなければいけません。

 

こども誰でも通園制度を導入することで、やりがいよりも、ひょっとしたら、いつもよりもさらにサービス残業や持ち帰り、休憩が取れない日が、増えたりするのではないか?!と。

 

この資料を作成された方は、保育の現状に精通されている方でしょうし、また、保育現場へのアンケート調査も行われていますし、こども家庭庁に現場の意見もたくさん上がっているでしょうから、保育士の働き方についても、把握されているはずです。

 

行政官僚としての、専門性を発揮されているでしょうからね☺

 

にも拘らず、保育士の専門性を発揮する機会に出来るという、当たり前のことを挙げるというのは、保育士の労働者としての権利を無視した、とても不親切なものではないでしょうか。

 

日々報道されて、問題となっています、不適切な保育ですが、保育現場への調査結果から、保育現場の負担の重さが原因の一つとして、挙げられています。

 

〈保育士に休憩が無いのは当たり前?!〉

【保育所の課題】保育士に休憩は無いのは当たり前?!保育士の人権問題とは?!
保育士の待遇から、保育士の労働環境と人権について、考えてみました。保育士は働きながら保育のスキルを上げていける環境にあるのか。

 

〈保育士のサービス残業について、こども家庭庁に意見、要望〉

【保育所の課題】サービス残業についてのこども家庭庁への意見、要望について
保育所でのサービス残業(無報酬についての労働)に実態について、こども家庭庁に意見を送ったことについて、ご報告いたします。

 

それを知らないということは、あり得ないでしょうね😓

 

なので、③で付け足しのように、職員体制について、触れているのでしょうが、それこそ付け足しではなく、真っ先にしっかりと議論すべき、重大な問題です!

 

③を疎かにすると、子どもがあちこちの保育現場で怪我をしたり、(場合によっては命を落とすこともあるかもしれません。)さらに不適切な保育が増えたり、また、負担の重さやストレス、プレッシャーなどから、保育士の健康が損なわれたりする、境目にもなりかねません。そのため、さらに保育士が離脱する可能性もあると思っています。

 

この程度の触れ方しかしないというのは、議論のアリバイ作りをしているだけに思えて、重要と書いておきながら、結局は、これまでのように体制は変えるつもりはないようですので、一保育士に負担を強いているだけではないでしょうか。

 

 

ここで、ちょっと気になりましたので、保育士ではなく、国家公務員の専門性について、少し確認しておきたいと思います。

 

国家公務員として求められる役割と人材像(内閣官房 私の主観ではありません)

(1)  国家公務員の基本的責務
 国家公務員は、国民の負託を受けて公務に従事する「国民全体の奉仕者」であり、高い使命感と倫理観及び職務にふさわしい優れた能力をもって、国民全体のために職務に当たるべき基本的責務を有する。
このため、新たな人事評価システムについては、「国民全体の奉仕者」としての能力、適性、業績等を有する人材を育成し、評価するシステムであることが求められることとなる。
(2)  国家公務員に求められる行動規範
 国家公務員は、前述の基本的責務の下で公務に従事することから、以下のような行動規範が課せられることとなる。このため、新たな人事評価システムの仕組みや個々の評価項目・評価基準の検討に当たっては、これらの行動規範を反映するという視点が必要となる。
 国民の一部ではなく全体のために職務に当たるべきことを常に自覚し、公共の利益の増進を目指すという使命感の保持
 公権力の行使に携わる上で求められる国民の人権に対する配慮と公務の公正性・信頼性を支える廉潔性の確保
 職務遂行時における法令に基づく執行義務の完遂と適正手続の重視
 行政に対する国民のニーズと行政課題の動向に対応し、広い視野をもって中長期的観点から継続的に行う職務遂行

 

いかがでしょうか。

こども誰でも通園制度検討会で、用意された資料は、国家公務員の役割りと合致していると言えるでしょうか?

 

国民全体への奉仕ではなく、一部の利害関係のある人への奉仕に、偏ってはいないか?
公共の利益(特定の個人や階層、法人・団体などの利益でない、社会の成員すべての利益。)に反していないか。
国民(この場合は保育士)の人権に対する配慮に欠けていないか
法令に基づいていないのではないか(労働基準法)
国民のニーズに応えていると言えるのか(保育士も国民の一部)

 

国家公務員の役割りと人材像にありますように、国家公務員は国民全体への奉仕者のはずです。

 

そして、

国民や公共というのは、数ではありません!

 

多くの国民(この場合は保護者?もしくは政治家? 子どもは用意された保育の内容によっては、むしろ不利益になる可能性もあります)に利益があっても、保育士が犠牲になっていいということではありません。

こども家庭庁の方は、保育士にさらに専門性を要求する前に、国民全体への奉仕者であるということをもう少し意識して頂けたらと思います。

 

同じようなことは、保育所保育指針にもあり、保育士の資質を大きく問題にしていますが、その前に次々に一保育士に負荷をかけ、保育士の労働者としての権利を守るという視点が欠けています。

 

そして2点目は、

余裕活用型?!

こども誰でも通園制度の実施方法ですが、

実施方法(一般型(在園児と合同、または、専用室独立実施型)、余裕活用型)は3種類考えられています。

 

その名称ですが、保育所定員の空きを利用する方法を、なぜ余裕活用型と言っているのでしょうか?

 

とても違和感があります。

 

誰が余裕があると言っているのでしょうか?

 

そして、その余裕があるというのは、何を基準にそう言っているのでしょうか?

 

疑問です。

 

例えば、

 

仮に、保育所で子どもが1人休んだとします。

 

そういう日は、することが無くなるとか、時間を持てあますとか、ありますでしょうか?!

 

余裕とは、そのようなことを言うと思うのですが、

 

国の保育士の配置基準では、

0歳3人に 1人
1-2歳6人に 1人

となっています。

 

そこで1人子どもが休んだから、余裕が生まれ、慣らしが必要な子どもを受け入れることが出来ると言えるでしょうか?

 

個々の子どもの成長発達を考えず、命を守ることだけを管理すればいいということなら、もしかしたら可能かもしれません。

 

ですが、そのような保育の仕方は、先ほどの話ではないですが、保育の専門性を発揮出来ませんし、今後の子どもの社会性の育ちが心配です。

 

今の基準でいうと、もし子どもが1人休んだら、余裕というよりもむしろ、まともな保育がやりやすくなる日ということではないでしょうか。

 

現場の保育士が、余裕があるとは聞いたことがありませんので、こども家庭庁の方が、数字の上だけで言っているのでしょうか?

もしそうなら、『余裕活用型』というのは、あまりにも配慮に欠ける言葉だと思いますし、保育士の人格を無視しているように思えるのですが、、

 

それこそ、国民全体への奉仕という、国家公務員の専門性をもっと発揮して頂けたらと思いますが、、

 

こども家庭庁が、保育現場には余裕が無いにも関わらず、『余裕』という言葉をあえて持ってきた本当のねらいは、数字上は利用定員には『余裕』があるのだから、当然その分、子どもを受け入れられますよね!という、有無を言わせない圧力にするためではないでしょうか。

 

しかし、余裕という言葉は、普通、時間や空間、気持ちなどについて使うような言葉であって、数字上、1つ2つ程度足りていないからと言って、『余裕がある』とは言わないのではないでしょうか。

 

もし、言葉にするなら、『1つ2つ、少ない』ですよね😓

 

ですので、今後検討会で使用する場合は、意図的でどなたかの主観と思われる『余裕活用型』という言い方ではなく、単純に空き利用型という言い方などに替えて頂けたらと思ったりしますが、いかがでしょうか。

 

 

まとめ

いかがだったでしょうか。

 

このようにみると、こども家庭庁が用意された資料は、最初から意図的な思惑が刷り込まれているように感じますね。。

 

現在実施されています、モデル事業も『余裕活用型』になっています。

 

検討会とは名ばかりの、結論ありきの会議なのでは?!

 

あと、こども誰でも通園制度は、資料では最後の方になっていますが、実施方法が肝だと考えられますので、私の提案としましては、

 

実施方法を議題のトップに持ってくることも提案したいです!

 

現在実施されている、モデル事業の実施方法を、結論ありきではなく、じっくりと、本当の意味で、詳細に検討してみることが大切ではないでしょうか。

 

どのような保育体制で、どのような保育内容で、受付から準備、振り返り、事務などにどのくらいの時間と労力が必要なのか、十分に検討した上で、どこの保育施設でも実践可能な制度にした上で、本格実施を行って欲しいと切に願います。

 

孤独に家庭養育をされている保護者の方の、良い休息や助言が聞ける機会になり、安全で、子どもの育ちにも良い制度になるように、今後も検討会の進捗状況に注目したいと思います☺

 


 

最後まで、【保育ニュース】こども誰でも通園制度(仮称)検討会の違和感とは?!をお読みいただき、誠にありがとうございました☺

もし、ご意見ご感想などございましたら、下記のコメント欄から、よろしくお願いいたします!

 

 

 

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